人生で「丸1年」過ごす場所。公衆トイレが快適であるべき、本当の理由
外出先の、あの瞬間。ドアを開けるまで、中は「賭け」だ。 清潔な空間に安堵のため息をつくか、暗がりと臭いに静かに後ずさりするか・・・なんて少し大袈裟かもしれませんが、たった数分の利用でも、その体験ひとつで、その街や施設への信頼感が大きく変わる。それが「トイレ」という空間です。
なぜ、たかがトイレにそこまで思うのでしょうか。 ここで、衝撃的な事実をお伝えします。私たちは、人生でどれくらいの時間をトイレで過ごすかご存知ですか?
1日あたりのトイレ利用回数を6回、1回の利用時間を3分と仮定します。
6回 × 365日 × 80年 = 175,200回
175,200回 × 3分 = 525,600分
= 8,760時間(= 365日 → ちょうど1年間)
計算するまで意識しませんでしたが、私たちは一生のうち「丸1年間」もトイレで過ごしているのです。(特に筆者の場合はIBS(過敏性腸症候群)の傾向にあるため、実際はもっと長いかもしれません)もちろん、この1年の大半は、自宅や職場といった慣れた場所のトイレで過ごす時間でしょう。
しかし、だからこそ「公衆トイレ」の体験が際立つのです。人生の1年分もの時間を費やす「トイレ」という行為において、自宅で得られる「当たり前の安心感」が、外出先の公衆トイレで裏切られた時のストレスや不快感は、非常に大きなものになります。人生の1年を占める大切な時間だからこそ、その一部である「公衆トイレ」での時間も快適であるべきだ、いや快適であってほしいと願うのはごく自然なことではないでしょうか。
なぜ今、公衆トイレの「快適さ」が重視されるようになったのか

かつての公衆トイレは 4K(汚い・暗い・臭い・怖い) の象徴でした。この不快なイメージを大きく変えたのが水洗化です。水で流せるという今でこそ当たり前の機能は、汚れ・臭い・処理の負担を劇的に減らし、街に清潔さ・公衆衛生・安心感をもたらしました。
そして水洗化をきっかけに、トイレは「不快を避ける場所」から、どうすれば快適に過ごせるかを考える空間へと進化し始めたのです。今では公衆トイレは単なる設備ではなく、街や施設の品格などもてなし力を映す鏡とすら言われています。
もし予算を度外視したら、公衆トイレはどこまで快適にできる?

そんなもてなし力を映す鏡とまで言われるトイレですが、ここでちょっと想像してみてください。公衆トイレを作る費用や維持管理といった制約が一切なかったら、一体どんな公衆トイレを作れると思いますか。
小さなラウンジのような「くつろぎ空間」としての個室
例えば、個室は二畳や三畳といった最小限のサイズではなく、四〜六畳ほどの小さなラウンジのような空間とし、柔らかな自然光や高品質の間接照明で満たします。利用者の表情や心拍をAIが検知し、温度・香り・照明・音楽をその人の嗜好に応じて自動最適化。さらに、便座の温度やウォシュレットの水圧といったデリケートな設定まで、その人の嗜好に応じて完璧に調整されます。まるで自宅以上に落ち着ける「プライベート・リセットルーム」のような空間ですね。
医療レベルの衛生を自動で保つセルフリセット型トイレ
衛生面も極限まで追求し、利用者ごとに自動清掃ロボットが即時に全域をリセットし、常に医療レベルの清潔さを保ちます。トイレ内の操作はすべて非接触で完結。ドアの開閉・鍵・水・手洗いはもちろん、照明やウォシュレットの各種操作ボタンにすら触れる必要がありません。「照明を少し暗くして」「音楽を変えて」といった声(音声指示)だけで、その場ですべてが応答してくれる。そんな空間を想像するとワクワクします。
混雑やストレスを先回りして解消する予測型ナビゲーショントイレ
さらに、混雑状況をスマートフォンに通知し、最適な公衆トイレを事前に案内する仕組みを搭載します。また、AIがその人の1日の行動パターンを学習し、「この先のルートにはしばらくトイレがありません。今のうちに行っておきませんか?」といった最適なタイミングと場所を先回りして提案してくれるとかなり便利ですよね。すでに羽田空港や一部の大型商業施設では、トイレの空き状況をリアルタイムで把握できるシステムが入っているので、これがもっと普及して身近で使えるサービスになると嬉しいです。
とはいえ、現実の公衆トイレで求められる快適性とは?

・・・と、SF映画のような夢のトイレを想像してしまいました。 ですが、私たちは公衆トイレに、ここまでのハイテクや贅沢を求めているわけではないはずです。公衆トイレには、経済性と持続可能性という現実が伴います。 だからこそ求められるのは「驚くような高機能」ではなく、あのドアを開ける瞬間の「不安」や「不快」を感じさせないことです。
- 衛生的で「不快さ」を感じないこと (汚れや臭いがない、暗くなく換気がしっかりされている)
- 迷わず、ためらわずに行きやすいこと (すぐにトイレが見つかる、場所がわかりやすい、遠すぎない、混みすぎていない)
- 安心して身を委ねられること (便座の冷たさや、他人の気配にストレスを感じることなく落ち着いて用を足せること)
これら「生理的・物理的・心理的」すべての不安が解消されていることが、公衆トイレにおける快適さの基本条件だと考えます。
公衆トイレに求める快適さとは「誰にとっても安心できること」

公衆トイレの快適性とは、決して豪華さではありません。必要なのは、不快がないことと迷わず安心して使えることなのです。そのうえで、地域・文化・利用者へのさりげない配慮が加われば、トイレは 街の「もてなしの質」を静かに語る空間となります。
私たちが目指すのは、華美ではなくちょうど良い快適さ。
その数分が、人の気持ちを少しだけ整えてくれるようなトイレなのではないでしょうか。